第1-15-1話:“3年後の自分”

株式会社テックフォレストでは、半期に一度の人事評価の季節がやってきていた。
高橋健太は、プロジェクト管理ツール『ワンチーム』に表示された、自身の評価シートの項目を一つ一つ埋めていく。
半年前の自分と比べて、できるようになったこと。
チームに貢献できたこと。彼の胸には、確かな充実感があった。
だが、彼の指は、最後の項目で、ぴたりと止まった。
【3年後のキャリア目標】
そこだけが、どうしても、空白のままだった。
今の仕事は、楽しい。
やりがいもある。
チームの雰囲気も温かく、人間関係に悩むこともない。
しかし、3年後、自分はどうなっていたいのだろうか。
今のまま、一人のプログラマーとして、コードを書き続けているのだろうか。
マネージャーである佐藤さんのように、チームを率いる立場になっているのだろうか。
それとも、ベテランの鈴木さんのように、誰にも真似できない専門性を極めているのだろうか。
どの道も、今の自分からは、遠く霞んで見えた。
高橋は、SNSで、大学時代の友人たちの近況を見た。
マネージャーに昇進した者。
専門職として独立した者。
目標を持って、別の会社に転職した者。
皆、自分の未来に向かって、着実に歩んでいるように見えた。
それに比べて、自分は。
ただ、日々の仕事に満足して、立ち止まっているだけではないのか。
そんな、行き場のない漠然とした不安が、彼の心に、静かな影を落としていた。
第1-15-2話:“if”の世界線

高橋は、キャリア目標の欄を空白にしたまま、評価シートを提出した。
翌日。
マネージャーの佐藤との評価面談が始まった。
佐藤は、一通りの評価を伝えた後、優しい口調で切り出した。
「高橋くん、キャリア目標のところ、白紙だったわね。
何か、悩んでいることでもある?」
高橋は、正直に自分の気持ちを打ち明けた。
「今の仕事は、すごく楽しいんです。
でも、この先どうなりたいのか、自分でもよく分からなくて…」
すると、佐藤は、待ってましたとばかりににっこりと笑った。
「その悩み、高橋くんだけじゃないのよ。
実は、『ワンチーム』に、そのための新しい機能が追加されたの。
一緒に試してみない?」
佐藤が、高橋のプロフィール画面にある「キャリアパス・シミュレーション」というボタンをクリックする。
画面には、高橋の現在の「スキルマップ」が表示された。
そして、次の瞬間、彼のスキルと、これまでの実績、そして(おそらく)日々の業務から推測された興味・関心を元に、AIが算出した、「3年後の、ありうるかもしれない高橋健太の姿」が、3つの道筋となって、目の前に現れた。
【パスA:プロジェクトマネージャー】
・概要:チームを率い、プロジェクト全体を成功に導く。
・次に習得すべきスキル:予算管理、クライアント交渉
・推奨アクション:次期プロジェクトで、サブリーダーを担当する。
【パスB:データベース・スペシャリスト】
・概要:鈴木守氏のような、データベースの専門家になる。
・次に習得すべきスキル:クラウドアーキテクチャ、高度なSQL
・推奨アクション:会社支援のオンライン講座を受講し、次のインフラ関連プロジェクトに参加する。
【パスC:UI/UXリードデザイナー】
・概要:自身の強みをさらに伸ばし、デザイン領域の第一人者となる。
・次に習得すべきスキル:人間中心設計、プロトタイピングツール
・推奨アクション:新規アプリ開発プロジェクトで、デザイン責任者を担当する。
それは、単なる占いではない。
それぞれが、今の自分から繋がっている、具体的で、実現可能な未来の姿だった。
第1-15-3話:自分で選ぶ“未来”

高橋は、画面に表示された「ありうるかもしれない、3人の自分」を、食い入るように見つめていた。
数時間前まで、彼の未来を覆っていた濃い霧が、嘘のように晴れていくのが分かった。
道は、一つではなかった。
そして、どの道も、確かな一歩を踏み出せるように、照らされている。
「どうかな?もちろん、すぐに決める必要はないわよ」
佐藤が、優しく声をかける。
「時間をかけて、じっくり考えてみて。
どの道に興味を持ったとしても、私は、全力であなたをサポートするから」
その日の午後、高橋は自分のデスクで、もう一度、キャリアパスのシミュレーション画面を開いていた。
彼の心は、もう不安ではなかった。
どの未来を選ぼうか、という、前向きで、明るい興奮に満ちていた。
彼は、そっと、マウスを動かす。
そして、「パスC:UI/UXリードデザイナー」の項目に、チェックを入れた。
自分の「好き」と「得意」を、もっともっと、この会社で伸ばしていきたい。
システムが示してくれたのは、未来の答えではない。
自分の意志で、自分の未来を選ぶための、優しくて、たくさんの選択肢(道標)だった。
高橋は、3年後の自分に向かって、新しい一歩を踏み出した。
その足取りは、驚くほど、軽やかだった。
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