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1-9:見えない“借金”


第1-9-1話:“返済”の始まり

株式会社テックフォレストの主力製品は、好調なセールスを記録していた。

しかしその裏で、開発チームの雰囲気は、重く沈んでいた。

 

半年前、厳しい納期を達成するために、チームは多少の無理をして、いくつかの機能を「その場しのぎ」のコードで実装したのだ。

「後で必ず綺麗にしよう」と、誰もがそう思っていた。

 

そして今、チームはその“返済”に追われていた。

 

「…まただ。こっちを直したら、全然関係ないはずの、あっちの機能が動かなくなった…」

 

高橋健太は、頭を抱えてディスプレイを睨む。

簡単な機能追加のはずが、もう三日も彼を苦しめている。

コードは複雑に絡み合ったスパゲッティのようで、どこをどう直せばいいのか、見当もつかない。

 

それは、高橋だけの問題ではなかった。

ベテランの鈴木守でさえ、眉間に深いしわを寄せている。

 

「これだから、急いで書いたコードは嫌なんだ。

見えない借金が、利子をつけて膨れ上がっていく…」

 

チーム全体の開発速度は、明らかに落ちていた。

新しい機能を作る喜びよりも、過去の「借金」を返す苦しみが、メンバーの心を蝕んでいた。

 


第1-9-2話:“借金”の可視化

マネージャーの佐藤理恵は、その状況を誰よりも憂慮していた。

メンバーが疲弊しているのは分かっている。

どこかで時間をとって、問題のコードを根本的に修正する「大掃除」が必要なことも。

 

だが、それを上層部にどう説明すればいい?

「新しい機能開発を止めます。

理由は、昔のコードが汚いからです」などと、口が裂けても言えない。

それは、彼女のマネジメント能力を問われることにも繋がる。

 

彼女が一人、デスクで頭を抱えていた時だった。

 

『ワンチーム』から、プライベートな通知が届いた。

 

タイトルは『インサイトレポート:技術的負債の分析』

画面には、衝撃的なデータが表示されていた。

 

まず、機能開発に要する時間が、この3ヶ月で40%も増加していることを示すグラフ。

 

次に、社内のプログラムソースコードを解析し、特に問題の多い箇所が赤くハイライトされたマップ。

 

そして、その下には、明確なコスト・ベネフィット分析が記載されていた。

『現状分析:直近一ヶ月の開発時間のうち、35%が「技術的負債の返済(過去の不具合修正)」に費やされています。

このまま放置した場合、半年後には、この割合は60%に達すると予測されます』

『推奨アクション:2週間の「リファクタリング・スプリント(集中修正期間)」の実施

・効果予測:新規開発は一時的に停止しますが、その後の開発生産性は50%向上し、関連するバグの発生率は75%低下する見込みです』

 

それは、佐藤が言葉にできなかった問題を、経営層が最も理解できる「コスト」と「利益」という言語に、完璧に翻訳したレポートだった。

 


第1-9-3話:未来への“大掃除”

佐藤は、すぐにチーム全員を会議室に集めた。

彼女は、もう一人で悩む必要はなかった。

 

スクリーンに『ワンチーム』の分析レポートを映し出す。

 

「みんな、見てください。

これが、私たちが今、直面している問題の正体です。

そして、これが、システムが示してくれた、未来への処方箋です」

 

彼女は、リファクタリング・スプリントの実施を、チームに提案した。

 

「もちろん、目先の開発は少し遅れることになります。

でも、私は、この『見えない借金』をここで全員で返済し、もっと気持ちよく、もっと創造的な仕事ができる未来を選ぶべきだと思います。

皆さんは、どう思いますか?」

 

シーンと静まり返った会議室で、最初に口を開いたのは、ベテランの鈴木だった。

「…やっと、大掃除の時が来たか。大賛成だ」

 

その一言を皮切りに、高橋をはじめ、メンバー全員が「やりましょう!」「絶対に今やるべきです!」と、力強く頷いた。

自分たちの苦しみが、客観的なデータによって「正当な課題」だと認められたことが、彼らの心を一つにした。

 

その日からの二週間、チームは、まるで新しいサービスを開発するかのような熱量で、過去のコードの「大掃除」に取り組んだ。

それは、後ろ向きな作業ではない。

未来の自分たちが、もっと楽に、もっと楽しく仕事をするための、前向きな投資だった。

 

そして、二週間後。

見違えるほど綺麗になったシステムの上で、彼らは再び新しい機能開発を始めた。

その開発速度は、以前とは比べ物にならないほど速く、そして何より、ストレスがなかった。

 

高橋は、自分の書くコードが、すいすいと動くのを感じながら、思う。

短期的な利益や納期に追われ、人間が見失ってしまう、本当に大切なこと。

この賢いアシスタントは、データという静かな言葉で、それをいつも教えてくれる。

 

チームには、再び、創造的な仕事に取り組む喜びと、温かい活気が戻ってきていた。